リハビリテーションに対する患者の想い
学校、就職、結婚。
子供が生まれて、ローンで家を建て、退職までにコツコツ返済していく。
ありふれた平凡な人生。
誰もが思い描く、ありきたりな日常の中、まじめに生きてきた。
まじめは自分の長所であり、短所でもある。大した趣味もないが、歳を重ねるごとに会社での立場があがり、上司・部下との人間関係に悩むことは多くなっていたが、仕事は充実していた。
家庭では、男女平等という社会の空気に賛同し、男の育児を実践すべく、妻に言われる家事を嫌味を言われながらも、黙ってやっていた。子どもはまだ小さく口答えなどしない。身体的には疲れるが精神的な負担はほとんどなかった。
昨日と変わらない日常がこれからも続く、と漠然と信じていた。
しかし
ある日、突然体が動かなくなった。
車の運転中に右手が落下し、人形の腕のような感覚になった。
頭の中でいろいろ理由をつけて楽観的な理由を重ね、きっとすぐに良くなると願ったが、数時間後に病院のベッドにいた。脳梗塞だった。
落ち着かない病室で、頭に浮かぶことは
経済的な 自分のこれからの生活、家族のこれからの生活
物理的な 動かない体での日常生活
そして 変わってしまう日常への 家族の不安と苦難
動かない身体の自分の人生は終わってしまってもかまわないと思った。
が、家族に苦難を残してはいくことは耐えられなかった。
脳梗塞の急性期の2週間の治療が終わり、後遺症という言葉を医師から投げかけられることが多くなった自分にとって リハビリテーションは残された唯一の希望であった。
回復への希望があるからこそ、どん底の病室で目を開けていられる。
冷静に会話をすることができる。
希望があるから、ギリギリのところで精神的なバランスを保つことができた。
医療スタッフにはよくしていただいたが、何気ない言葉で傷つけられることもそれなりにあった。特に、リハビリセラピストには「病識」などと言ってほしくない。
病識など自分の身体をみればわかるのだ。回復への願望が言葉になったとしても、厳しい現実は日々患者を襲ってくる。患者のこころは崖から落ちる一歩手前で踏ん張っている状態である。こころのありようをわかってほしいと願う。
自分のリハビリ体験が誰かの励みになることを願い、日記をはじめることにした。