~ 私のやったリハビリ① ~
1.身体が動かない段階では、刺激を麻痺した手足に感覚を入れることをした
2.動かさないことで関節が硬くならないように、関節は良い方の手で十分に動かした
突然の入院
ゆめかうつつかまぼろしか …こんなセリフが思い浮かぶ
病室のベッドで、天井をじっと見上げていた。
寝返りすら億劫だった。動くときはトイレと食事。
あとは、ひたすらベッドの上で、天井を見上げていた。
心にゆとりがあれば家族が持ってきてくれた雑誌のリハビリ記事を読んだ。
短い記事を読むくらいは、頭は働いてくれた。
それでも一段落読んだら、しばらく目を閉じて休んでいた。
リハビリ記事の中で脳卒中患者の体験記を読んでいた。重度の麻痺から回復して、動くようになった方に自分を重ね、この薄暗いトンネルの先にあるであるかもしれない希望の出口を探した。
どんなことをすれば良い結果になる確率があがるのか。
麻痺の程度は人それぞれで、出来ることと出来ないことがある。
体験記の中で、自分と重ねられるモデルを通して自分にできることを探した。
私は脳梗塞発症時、麻痺が重度で全く手は動かなかった。
そんな状態が続いていると身体の動かし方を忘れてしまう。
そもそも自分の身体という感覚がない。
これは、感覚を失ってみないとわからない。当たり前に感じていた身体の境界ラインが体幹側に狭く小さくなっている。
世の中の人たちは当たり前で自覚しないが、人間の身体は脳から手足まで神経でつながっている。意識しなくても自分の身体を脳は知覚している。それが失われることではじめて知覚していたということを理解した。
病室では点滴の治療をしていたが、しばらくしてリハビリが始まった。
リハビリセラピストの方に「リハビリだから動かしましょう」と言われることは、とてもつらかった。
動かしたくても動かない。わずかに指を動かすために、100mを全力疾走するような消耗がある。非力な私がベンチプレス50㎏をやるくらいの強度だ。この全力疾走を気軽に、さも当たり前のように促されることは拷問に近い苦痛であった。
「簡単に言うけどさ・・・」というのが本音だ。
もちろんリハビリを放棄したいわけではない。味方であるはずのリハビリセラピストにそんなことは言わないが、わかってもらえていない悲しさはあった。試験勉強を教えてくれる友人に教えてもらいながらも理解できない自分が、一生懸命な友人に申し訳なくわかったふりをする気持ちを思い出した。できない自分が相手に対して申し訳ない。
最終的に、この段階で私ができたことは、麻痺した身体を触って感覚刺激を与えることだった。麻痺した手を擦ったりマッサージしたりして、脳への感覚入力を行い、同時に関節が硬くなる拘縮の予防に努めた。
できる限り触ったり、擦ったりする感覚を麻痺した部分に集中させるマッサージを繰り返した。